第八識は具体的な万法や六塵の境界を知覚しません。これは第七識が知覚する部分であり、また六識が知覚する内容でもあります。真心と妄心の体性、それらが対応し知覚する内容は厳密に区別しなければなりません。そうして初めて正しい認識と智慧を得ることができます。第八識が知っていても、もし意識が知らなければ何の役に立つでしょうか。意根が知り、意識が知ってこそ意味があり、作用を発揮するのです。
万巻の書を読むことができても、その意味を知らなければ真の精進とは言えません。法を学ぶ根本的な目的は智慧を獲得するためであり、無数の知識や学問を収集するためでも、学ぶこと自体のためでも、ましてや他人に見せるためでもありません。したがって智慧を得るために、私たちが何をすべきか、どのように行うべきかは、心を込めて考えるべきことです。仏法を学ぶ者は、仏の心と行いを学ぶのであり、仏の言葉をすべて収集するのではありません。仏の言葉を通して仏の心を理解し、それから仏の心を学び、仏の行いを模倣する。そうして初めて仏と平等無二となり、人々に慈悲を施すことができるのです。
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