衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月13日    日曜日     第2開示 合計1178開示

畜生の心行は無記であるか

畜生の第八識の心行は無記であり、畜生の意根の心行は無記であるが、畜生の六識の心行は無記ではない。六識が造る業行はすべて業種に蓄積され、いずれも果報をもたらす。例えば、畜生が仏法を聞けば、死後に天界に生まれて福を享受することがあり、経典にその記載がある。人間に近い畜生、人間の傍らで生活する畜生は、人間の法を薫習し、人の世界のことを理解し、人間に近しいため、死後に容易に人間道に生まれ変わる。猫や犬などがこれに当たる。畜生が無意識に三宝を供養すれば、将来大きな善報を得て速やかに証果を得ることがあり、これも経典に記載されている。

畜生と人間が異なる点は、畜生の意識は比較的愚痴であり、深く細やかな思惟分析ができず、意根に対して献策・指導する役割が小さいことである。ほとんどの場合、意根の習気が作用した現れであるため、愚痴で愚直に映り、計算ずくで動くことが少なく、虚偽性がなく、如才ないところがない。これが、人間が特定の畜生を好み、特定の畜生を恐れる理由でもある。

畜生はすべて前世の果報を受ける清算の過程にあり、意識の作用力が小さいため、新たに業を造る能力も小さい。果報を受け尽くせば、再び人道に生まれ変わる。人身こそが最も罪業を造る能力に長けており、それは人間の計算心が大きく、意識が強大で、新たな業を造ることができるからである。欲界の天人の意識も強大だが、彼らは善報を受ける段階にあり、悪業を造る必要がなく、善業を造ることも比較的少なく、主に天界の楽しみを享受している。

——生如法師の開示
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