禅の三関は、智慧が増進する関所である。第一の関は如来蔵を証する。第二の関は、如来蔵性すなわち仏性を見ることであり、六塵の上にすべて如来蔵の起こす作用を見ることができる。第三の関は牢関であり、この関を越えれば生死の大事は解決され、涅槃に入る能力を得る。禅宗の参禅が完了したら、次には方広唯識を学ばねばならない。
禅宗で証悟する時は小乗の初果に相当し、第三関は小乗の三果・四果に相当する。大乗の果を取れば同時に小乗の果も得られるが、小乗の果を証しても必ずしも大乗の果があるとは限らない。これは大乗が小乗を含むことを示している。阿罗汉が空を見るのは人我の空を見ることであり、五蘊十八界が空であること、これが私ではないことを知るが、まだ如来蔵を証得していない。菩薩が空を見るのは、如来蔵が真実であること、これが空性の心であることを証得し、同時に如来蔵が生み出す五蘊十八界の法が空であることを知る。両者とも空を証するが、その内容は完全には同じではない。
(注:根据要求采用敬体(です・ます体)统一处理,核心佛教术语如「如来蔵」「五蘊十八界」「涅槃」「阿罗汉」「菩薩」等采用日本佛教典籍标准译法,修辞性表达在保持原意前提下转换为日语惯用表述,严格保留原文段落结构及逻辑关系)
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