衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年03月15日    木曜日     第1 回の開示 合計204回の開示

七識の心所法

如来蔵の識種子が生じ七識を形成し、七識が一たび現行して活動を始めると、心所法の形式で運行を開始します。最初に五遍行心所法が生じ、次いで五別境心所法が不定時に随伴し、また善悪の心所法も随伴します。七識は時に善となり時に悪となり、時に善悪共に現れないこともありますが、五遍行心所法は必ず常時七識と共に現前して運行します。しかしこれらの心所法には種子が存在せず、七大種子の中に五遍行の種子はなく、業種の中にも心所法の種子は存在しません。しかし七識が一たび現行すれば、五遍行・五別境と善悪の心所が共に現れて運行し、それによって身口意の業行が生じるのです。

識種子は水滴の如く、水滴が連続して水流を形成し、この水流は七識の識流に相当します。しかし七識そのものは心所法に依存して初めて機能し、心所法の補助的運行があってこそ七識の作用が発揮されます。七識が生じた後、対応する法に対して作意・触・受・想・思をなす、これが七識の運行過程であり、その中には他の心所法が混在します。識種子自体は清浄であり、形成された識流も清浄ですが、心所法が運行に参与する時、七識は必ずしも清浄とは限りません。心所法に不浄や染汚があるため、七識が心行を伴って形成する業種も必ずしも清浄ではないのです。如来蔵にどのような業種が蓄えられているかによって、意根はそれ相応の表現を示すため、意根は必ず業種と相応するのです。

如来蔵は業種に基づいて七識を現行させ、業種が染汚であれば七識の心行も染汚となり、業種が清浄であれば七識の心行も清浄となります。染汚の種子が成熟すれば、意根は染汚の業を現行させ、その染汚の業は再び種子として如来蔵に収蔵され、識種子は如来蔵に戻っても依然として清浄です。七識が造作した悪業の種子が縁熟して現報を生じ、現報の中で再び不善の心行が生起し、この不善の心行に依って再び不善業を造作し、これを因として不善の果を生じます。業果はこのように循環を繰り返し、衆生は輪廻を絶ちません。七識が造作した善悪の業種は縁に遇って現行し終われば業種は消滅しますが、一切の法と心行は档案のように永遠に消失しません。衆生が無始劫に経験すればするほど、この如来蔵はより多くを蓄積し、歴劫の生命の長河における一切の事象を一点一滴漏らさず如来蔵は記録します。如来蔵は形相なく、もし形相があればこれほどの档案を収蔵できず、したがって档案もまた形相を有しないのです。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

前五識と意識における塵境を了別する原理

次の記事 次の記事

粗き五境と微細なる法境

ページのトップへ戻る