独頭意識が生起するためには、第八識と意根が必要であり、意識自体の識種子と法塵の参与も必要であります。この時、独頭意識が現起するために必要な縁は、五倶意識に必要な縁よりも少なく、五識が現起するために必要な縁よりも少ないのであります。従って散乱位の独頭意識は最も現起しやすく、これによって我々の心が散乱している時が多いことが分かります。故に禅定を修めることは容易ではなく、物事に専念することも難しく、常にあれこれと考えを巡らせ、妄念にふけり、時には自分が何を考えているのかさえ分からなくなるのであります。これらの独頭意識は全て意根が万法に攀縁することによって生じるもので、その根源は意根にあります。故に意根を降伏させ、意根が方々に攀縁しないようにしてこそ、我々は心念を統一でき、意識心に定を得ることができるのであります。
独頭意識心の生起にも一定の条件が必要である以上、この意識心は因縁によって生じたものであり、自在なものではございません。因縁によって生じた法は生滅無常なるもので、本来の我ではございません。移り変わる法は恒常でなく、苦であります。苦なるものは我ではございません。真実の我は苦でなく、常であり、生滅せず、断続もしないのであります。それは如何なる条件にも制約されず、本来より存在し、生滅の現象なきもので、それが真我であります。これ以外は全て虚妄であり、幻化した仮我であります。様々な条件に制約されるものは真実ではなく、故に我ではございません。常にこの理を思惟すれば、次第に自らの思想を転換させることができるのであります。
8
+1