さらに、耳識と共にある意識心がどれほど虚妄であり、どのように生滅するかを分析し思惟する必要があります。私たちが音声を聞くとき、必ず意識が参加しなければなりません。意識はこの音声がどのような種類の音声であるか、その源がどこにあるか、自分からどれほど離れているか、音声の内容は何か、音声の粗細、男女の声か、物体から発せられた音か宇宙の音か、自分にどのような影響を与えるか、この音声をどのように処理し対処するかなどを分析します。これら全てが意識心による了別と処理の内容です。
耳識と共にある意識心が現れるためにはどのような条件が必要でしょうか。その現れには耳根・耳識・第八識・意根・意識自身の識種子、さらに外界の音声が必要です。これらの条件が具足して初めて私たちは音声を聞き、この音声に対して分別・了別・判断・分析・思惟・打算を起こし、様々な歓喜心・貪心・厭心を生じ、多様な心緒を発生させることができます。これら全てが意識心の機能的作用です。
この意識心の生滅性を分析思惟しましょう。もし外界の音声が消滅すれば、意識心は此処の声塵を了別できず、別処に移って分別し、此処で声塵を継続して分別しなくなります。もし一つの縁(例えば耳根が損壊する)が欠ければ、耳識心も存在しなくなり、意識心はこの音声に関注できなくなります。これによって意識心がいかに虚妄であるかが明らかです。外界の音声は全て様々な因縁によって生起するもので、外界の音声がなければ意識心も現れません。もし識種子がなければ意識心は現れず、意根が法塵に興味を持たずこの声塵に対して作意を起こさなければ、意識心も現れません。人が疲労し昏迷すれば、意識心は現れず、私は音声を聞くことができなくなります。このように、音声を聞き分析し、その内容を思惟する意識心もまた生滅するものであり、無常であり、因縁によって生じたものです。故に意識心は私ではなく、生滅を繰り返すものであり、決して私ではあり得ません。
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