次に舌識と共にある意識心は、いかなる条件のもとで現前するのであろうか。その現前には舌根が必要であり、舌根が壊れていないこと、舌識が存在すること、さらに第七識と第八識が存在すること、意識の種子が存在すること、飲食中の味塵が存在することが必要で、これらが揃って初めて意識心が現前するのである。
意識心が現前した後は、これがどのような味であるか、具体的な甘酸っぱさ・苦さ・辛さ・塩味・淡味の程度、何の物体の味か、美味しいかどうか、摂取して自身に利益があるか否かを分別することができる。さらに他の思想活動、すなわち分別・了知・推理・分析・判断・打算など、様々な思惟活動が意識心によって運行される。意識の思惟活動が現前するには、これらの因縁条件が必要であり、一つの条件が欠けても意識の思惟活動は現前しない。因縁が具足して初めて現前する法であるならば、それは当然虚妄なるもの、生じては滅び、滅びてはまた生ずる無常の法であり、すなわち我では無いのである。
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