問:色身は四大によって構成されており、色身における四大も絶えず流転しています。人は飲食や呼吸などを通じて体外の四大を取り入れ、身体に必要な四大から成る栄養物質に変換します。同時に、人身上の四大も絶えず消耗し、様々な排泄物を通じて排出されます。このすべての運営は、如来蔵のみがこの機能を有しています。人が思考する際、如来蔵は絶えず勝義根の四大を摂取して法塵を顕現させ、意識や意根が了別するに供します。そのため思考過多になると、勝義根の四大栄養が過度に消耗され、大脳は疲労を感じます。勝義根が供給する四大栄養が不足すると、思考能力は低下します。人が過度に疲労した時は、睡眠を通じて如来蔵が四大を運営し、勝義根の四大栄養を補充する必要があります。このように理解してよろしいでしょうか。
答:独影境の法塵は勝義根の四大物質を消耗する必要はありませんが、法処所摂色は勝義根内の四大栄養物質を消耗します。しかし意根と意識が運行する際には、勝義根とニューロンを触動させ、生体電気を放出し、四大栄養物質を消耗するため、思考が多すぎると大脳が疲弊したと感じ、エネルギーが再び集積するまで一時休息が必要となります。
識心が動くと、大脳神経が跳動し、生体電気を放出し、エネルギーを放出します。たとえ入定して六識が動かなくとも、意根は微細に了別し、密やかに活動しており、わずかながら四大栄養を消耗します。意根の活動が軽微であればあるほど消耗は少なくなり、入定が深ければ深いほど意根の活動は軽微になり、消耗は少なくなります。無想定に入れば、数劫の時間あるいはそれ以上定に入ることができ、飲食は必要ありませんが、身体は次第に痩せ衰えてきます。
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