衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年03月09日    金曜日     第1 回の開示 合計176回の開示

受心所法は識心の運行の助伴である

「受蘊」における受は六識心の心所法であり、六識心の一つの機能性である。実際には識が塵に触れた後の感受作用であり、最初の領受領納の相は単に六塵を受け入れた段階で、まだ粗相に属する。喜怒哀楽の感受が生起する段階に至って初めて細相となる。受蘊は単に識が塵に触れる最初の受ではなく、最初の受は領納接受であり、苦楽受はまだ生起していない。受蘊には領納受と後期の三種の受が包含される。想は、ただ了別するだけでなく、相を取る作用もあり、意識の想は名言と相応する。想の段階にも粗相と細相があり、粗雑な了別と微細な了別、および執取の相が存在する。粗と細の了別を経た後、六識の粗い感受と細かな感受が生じる。

如来蔵に含蔵される受の種子は、識種子の外に存在するものではない。識種子が運行する際、受心所法の運行が伴うため、識心に感受機能が生じるのであって、識種子の外に単独で受の種子が存在するわけではない。五遍行心所法には独自の種子がなく、識心に依附して初めて運行し、識心の助伴となる。識種子が生起すると、五遍行心所法は同時に伴って運行し、識心に依附する。故に受には単独の種子がなく、想にも単独の種子は存在しない。六識種子が生起した後、識心が運行を開始すると、受心所と想心所が伴って運行し、五遍行心所法はすべてこのように作用する。八識はそれぞれ独自の五遍行心所法を有する。

五遍行心所法は識心の了別過程において、反復的に運行を繰り返し、一度の運行で終了することはない。運行が開始されると、その間の順序は入れ替わり逆転し、順序は一定しない。故に六識の受は一度二度の運行で終わるものではなく、無数に運行を繰り返す可能性がある。想心所と思心所も同様であり、作意と触心所法の運行回数は比較的少ない。六識は六塵に対し持続的に作意し、六塵に触れ続けながらも動じない。受・想・思の心所は反復往復の運行を経て、最終的な抉擇に至り、六識による六塵の了別が完結する。心所法の運行は極めて微細であり、仏地に至って初めて完全に観察し得るのである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

意根の心所法(三)

次の記事 次の記事

如来蔵中の無心所法の種子

ページのトップへ戻る