衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月19日    土曜日     第2開示 合計1190開示

修心と修身の観行

脳波について、それぞれの脳神経細胞(ニューロン)には神経核があり、各神経核は常時、随所で脳波を外部に放出しています。これが、私たちの日常的な心の活動が自身のエネルギーを消費する根本的な原因です。また、六根が六塵に接触する際に、意識が念力、分析、推理、判断を行う時には大量の脳波が放出されます。意識が思惟する時、脳波の外部への消費が最も多くなります。したがって、禅定を修める者が内に向かって専注し、外境に攀縁しない時には、消費するエネルギーは非常に少なくなります。

全身のすべての神経組織は最終的に脳に集約されています。内六塵は脳に現れ、第七識もまた脳で活動しています。第七識が活動する、つまり動き転じるたびに、脳の神経組織システムに影響を及ぼし、その後、神経系統は全身に伝わります。したがって、様々な識心の活動、識心の反応は、色身の変化を引き起こし、色身の呼吸、心拍、脈拍、血液循環、内臓、さらには皮膚にまで影響を及ぼすことができます。ここから最終的に一つの結論が導かれます:心を修めることは即ち身を修めることである。さらにもう一つの結論:身を修めることもまた心を養うことができる。この結論については、皆さん自身で推論し、その道理を証明していただきたいと思います。

仏法は最も精密な科学であり、最も先端の科学です。しかし、福徳が不足し、禅定が不足し、智慧が不足しているならば、それを証得することはできません。定力が不足していると、論理的思考能力が追いつかず、思考が十分に緻密ではなくなり、智慧が開発されません。多くの人々はいつもあちこちで理論を学びたがりますが、一度も時間をかけて禅定を修行し、仏法を観じようとはしません。その結果、学んだものは全て理論的な知識に留まり、自身の心身には何の役にも立たず、煩悩は相変わらず煩悩のまま、無智は相変わらず無智のまま、慢心は相変わらず高慢のまま、自我は相変わらず自我のままで、少しも心身の解脱による利益(受用)を得ることができないのです。

——生如法師の開示
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