衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月19日    土曜日     第3開示 合計1191開示

智慧的な認識によって、多くの道理が明らかになる

私たちの視野は限られており、地球を見ることはできません。たとえ地球が見えなくても、私たち自身が地球の上に足を踏み入れ、地球の上で生活し、地球の支えと養育に依存していることを知っています。このような知は、現量(直接知覚)による直接的な認識でしょうか、それとも理(推論)による認識でしょうか。間違いなく理による認識です。なぜなら、この理を理解すれば、私たちがまさに地球の上にいるという判断ができるからです。仏陀が説かれた多くの道理も同様で、ただちに証得することは難しいですが、累世の善根によって択法眼(真理を見分ける智慧の目)が修まるとき、理にかなった思考と判断を通じて、仏法が正しいこと、それに依って解脱が得られ、仏道が成就できることを知ることができます。

例えば、阿羅漢たちはまだ涅槃に入っていませんが、法を学び思考することによって、我執を断ち、三界の貪愛を断ち尽くせば解脱が得られることを了知し、心の底からこの方法によって涅槃に入れると確信しています。たとえまだ入っていなくても、涅槃に入るその時を待たずに、この修行方法が涅槃へ導くことを知るのです。これこそが、仏陀が説かれた理に基づいて思考し判断し、正しい結論を導き出すことです。多くの事柄は、自ら経験しなければ有るか無いか、正しいか間違いかを知る必要はなく、智慧による認識によって多くの道理を明らかにできます。智慧がなければ、たとえ自ら経験してもその所以を理解できません。諸道友にお勧めします。自分が知らない事理について、軽々しく「違う」「正しくない」「ない」「間違いだ」と言ってはいけません。常に自らの智慧がどの程度に達しているか、正しい思考・推理・判断ができるかどうかを量りなさい。あなたが導き出した結論は必ずしも正しいとは限らず、特に仏陀が説かれた法について判断を誤れば、それは誹謗(そしり)にあたります。仏と法を誹謗する結果は非常に深刻です。

——生如法師の開示
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