心に雑念が生じなければ、散乱心は取り除かれます。散乱心がなければ、禅定は自然に現れます。雑念は意根が縁に執着する習性であり、克服するのは非常に困難です。何とかしてこれを調伏しなければなりません。では、意根の習性を効果的に調伏するにはどうすればよいでしょうか。意根の特徴を捉えることです。意根は何もせずに暇になることを最も恐れています。それならば、意義のあることを一つ与え、主にそのことに専念させます。そのことが非常に重要だと伝えれば、意根はそれを重要だと認識した瞬間、必ずそのことに精力を集中させるでしょう。
どのようなことが最も意義があるのでしょうか。意根に呪文を唱えさせ、経典を読み、仏を念じさせることです。最初は回数や時間を決めますが、一度習慣が形成されれば、もはや回数や時間を決める必要はありません。意根は自動的かつ自覚的に呪文を唱え、経典を読み、仏を念じるようになり、眠っている間もその状態を維持できるようになります。そうなれば、定力は修められたと言えます。
意根の精力は非常に旺盛です。その注意力を引きつけ、精力を集中させる方法を考えなければなりません。これは、意識がどのように意根を説得し、意根の興味を引き出すかという点にかかっています。
普段、何をしていても、心の中で楞厳咒(りょうごんじゅ)を唱え続けましょう。回数を求めずとも、その加護の力は非常に大きいものです。できる限り時間を割いて禅定を修め、定力が少し向上したら、五蘊十八界について思惟します。色身(物質的身体)が無常であり無我であることから観察を始めます。五陰(五蘊)が活動しているその瞬間に、色身が何であるか、受陰(感受の集まり)が何であるか(それぞれの識にはいくつの感受があるか)、想陰(表象作用の集まり)が何であるか(それぞれの識にはいくつの想いがあるか)、行陰(形成作用の集まり)が何であるか(それぞれの識にはいくつの形成作用があるか)を区別します。六根(六感官)とは何か、六塵(六対象)にはどのようなものがあるか、六識(六意識)は何をしているのか、そしてこれらの法(現象)が生滅変化する様子を観察します。
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