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日常法話

2018年03月02日    金曜日     第6開示 合計132開示

眼識と意識の和合の作用(一)

眼根が色塵に触れるとき、この色塵は後脳の勝義根の中にある内色塵であり、この時に眼識が最初に生じて分別を行います。如来蔵が眼の勝義根において先に色塵の顕色を顕現し、この顕色は眼識と相応し、眼識によって分別されるものであるため、根と塵が触れ合う瞬間に眼識が最初に生じます。眼識が生じた後、内色塵の顕色を了別します。同時に如来蔵はすでに顕現された顕色に依り、顕色を基盤としてさらに形色・表色・無表色を顕現し、これら三種の色を法塵、あるいは法処所摂色と呼びます。

法処所摂色は意根と意識心に対応し、意識が了別する対象であり、法塵に属します。法塵と意根が触れ合うとき、如来蔵は意識を生じさせ、意識は法処所摂色を了別します。では我々が色を見る際、第一刹那目は眼識が最初に内色塵上の顕色に触れ、先ず顕色を了別します。第二刹那目で意識心が内色塵上の形色・表色・無表色に触れ、法処所摂色を了別します。続く第三刹那目、眼識は引き続き生起し、意識も連続して生起するため、第三刹那目において眼識と意識は同時に内色塵を了別し、眼識と意識の二者が和合して作用することで、初めて内色塵全体を完全に了別できます。

一つの色塵の上に同時に顕色・形色・表色・無表色が顕現して初めて、完全な色塵の相貌が形成されます。眼識と意識の二者が必ず和合して作用し、共同でこの内色塵を分別してこそ、内色塵の顕色・形色・表色・無表色を知り、色塵を完全に了別し、明瞭にはっきりと了別できるのです。第一刹那目と第二刹那目では色塵を了別しきれず、どのような色塵かも判然と見えません。第三刹那目に至ってようやく少し見えるようになります。第三刹那目に眼識と意識が共同で完全な色塵を了別するからです。

各識の種子が了別した色塵は、全て以前に了別した色塵と比較されます。了別した色塵が少しずつ増えることで、色塵を前後につなぎ合わせることができ、意識と眼識はこの色相の完全な形象が何であるかを知ることができます。識の種子が一つずつ流注し出て、少しずつ色塵を了別し、後の眼識種子と前の眼識種子が了別した色をつなぎ合わせて比較し、つなぎ合わせた後で初めてどのような色相であるかを知るのです。

意識心は了別を始めたばかりの段階ではまだ十分明瞭ではなく、色塵を回想・比較することも、分析・判断することもできません。第一刹那目は極めて速く過ぎ去り、了別は不完全で比較も不可能なため、ぼんやりとしています。第二刹那目も極めて速く過ぎ去り、依然として比較対象がないため、相変わらずぼんやりとして不明瞭です。第三刹那目になってようやく少し了別でき、おおまかな内容を知ります。第三刹那目以降になって初めて比較可能な内容が生じ、色塵の影像を前後につなぎ合わせることができ、ようやくぼんやりと少し内容を了別し、何の色塵であるかを知ります。また第三刹那目は眼識と意識が共同で了別するため、色塵の全体相を了別でき、この色が初めて完全な形状を現し、極めて微かなおおまかな色塵相を知ることができるのです。続く第四刹那目・第五刹那目・第六刹那目は、全て眼識と意識が共同で内色塵を了別するため、了別はより鮮明になり、了別する時間が長くなるほど、より明瞭かつ透徹したものとなります。

——生如法師の開示
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眼識と意識の和合作用(二)

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