衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月03日    土曜日     第3開示 合計135開示

眼識と意識の和合の作用(四)

注意深く観察し体験すれば分かることだが、私たちが物体を見るとき、最初の刹那には目の前の物体がどんな色かを見ており、必ず先に物体の色や色彩を見て、ぼんやりとした色彩がまず現れる。第二の刹那になって、ようやく意識心が現れて分別し、この時に少しだけ映像を分別する。第三の刹那になって、初めてその一点の映像がどんな色塵かが分かり、この時に色塵の形状が現れる。その後になって初めて色塵の内包的特質を知り、この色塵の具体的な名相が何かを知ることができる。そうして目の前のソファであれ、ベッドであれ、机や椅子であれ、これらの物体の名相・形相・本質・内包がはっきり見えることを、了別と呼ぶのである。

もしより複雑なものを了別しようとするなら、必要な了別時間はもう少し長くなる。例えば人を見て、この人の年齢を了別し、この人の気質・学問・教養などを判断する場合、意識心が分別する時間は長くなり、眼識が視る時間も長くなる。この二つの識は必ず共同で和合して作動してこそ、この人をはっきり見ることができる。このうち眼識は色や色彩を分別するだけで、色以外のものは全て意識心によって了別される。意識心の作業量は非常に膨大で、意識が了別する内容は非常に多い。だから意識心は相当に重要なのである。特に仏法を学び修行するには、全て意識を用いて思惟観行を行わなければならない。したがって意識は仏法を修学する上で極めて重要な修証の工具であり、もし意識の参与がなければ、私たちは仏法を学んで修行することができず、禅に参じて道を悟ることもできず、成仏することもできない。よって私たちは意識心を捨てて用いないわけにはいかない。もし仏法を学び修行するのに一切思惟せず、一切観行しなければ、それは愚痴と何ら変わるところがないのである。

——生如法師の開示
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眼識と意識の和合作用(三)

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瑜伽師地論選釈

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