眼俱意識の最初の識の種子が生じるのは、必ず眼識の種子が生じた後に起こり、その後二つの識の種子が同時に生じ、前後はない。二番目以降の眼識の種子の生起には、必ず意識が伴って運行しなければならず、そうでなければ生じることもできない。私たちはぼんやりと心を遊ばせて自ら体験してみることができる。色(物質)を見るとき、眼識が先に知覚するのか、それとも意識が先に知覚するのかを。もし意識が先に知覚するならば、意識が見る形と色の中には、いかなる種類の色彩も存在せず、白や明るさもなければ、黒や暗さもなく、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫もさらにないのか? 明らかにそうではない。
さらに観察し体験してみよう。色を見なくなったとき、意識が先に消えるのか、眼識が先に消えるのか、それとも同時に消えるのか。理論によれば、意識が先に消え、眼識が後に消える。なぜなら法塵(意識の対象)は色塵(眼識の対象)に依存して初めて顕現できるからである。例えば、形の長短や方円は、もし色彩という色塵がなければ、長短方円を映し出すことができない。もし色塵が存在せず消滅したなら、法塵は確かに存在し続けることはできない。そして法塵が消滅しても、色塵はまだ一刹那だけ留まることができるが、それはほんの一刹那であり、第二刹那はありえない。もしそうでなければ眼識は単独で存在できてしまう。色塵がなくなったのに法塵がまだ存在するということはありえず、これは絶対に不可能である。したがって眼識が意識より先に消えることはありえない。目覚める時はこれとは逆で、必ず先に意識があり、後に五識(五感の認識)があるか、あるいは独頭意識(単独で働く意識)が五俱意識(五感と共に働く意識)に転じ、その後五識が生じるのである。
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