耳が音声を聞く際、耳識は現量によって音の音量や振動数を弁別し、意識心もまた音声に対し現量的な弁別を有する。その弁別の内実は、耳識の弁別内容よりも遥かに豊かなものである。意識が弁別する現量境とは、即ち今伝わって来る音声の微細な法塵であり、過去に聞いた音声を回想するものでも、未だ現れざる音声を空想するものでもない。意識は音声を比較分析することなくその内実を了知する、これが意識の現量弁別である。例えば話し声を聞けば、意識心は直ちに音源・音質・内容等の情報を誤りなく判断する、これが現量弁別である。意識は時に比量弁別を為すこともあり、思惟・推理・判断・比較等の方法を通じて話者の隠された意図を弁別する。意識の弁別は時に正しく、時に誤る。誤った弁別は完全なる非量弁別となる。
また風雨の音を聞く場合、耳識は直接現量によって風雨音の振動及び音波が鼓膜に与える衝撃を弁別する。意識は風雨音の大小・高低・発生源・方向・緩急等の内実を、比喩や分析を要せず直接弁別する、これが現量弁別である。しかし時に比較・分析・思惟・推理を伴う場合もあり、意識は比較と想像の思惟を借りて初めて明瞭に弁別する、これが比量弁別である。弁別を誤れば完全に非量弁別となる。意識は耳識の参与なく単独で比量と非量の弁別を為し得る。意識心が弁別する際、耳識心が現行しなければ意識は音声を弁別できず、二つの識心が同時に存在して初めて現量弁別が成立する。故に意識が五塵における現量弁別は、常に前五識の参与を必要とするのである。
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