第八識の中には本来七大種子が含蔵されており、七大種子は常に第八識に存在しています。そのうちの一つが識大の種子です。第八識が識種子を送り出すことにより前七識が生じ、如来蔵が前七識に識種子を送り出した後、前七識は活動を開始します。第七識の運作は心所法の形式で行われ、その中には五遍行心所法と五別境心所法が含まれます。凡夫の第七識の心所法には、さらに貪・瞋・痴などの煩悩心所法が染汚性として存在しています。
第七識が顕現すると、心所法の形式で運作を開始します。その顕現の前提として、第八識が刹那毎に第七識に識種子を送り続ける必要があります。一弾指の間に八万一千の生滅種子が送り出されます(数字は比喩的に示されたもので、一刹那における種子の膨大な量を表します)。一つの種子が生じては滅し、次の種子がその位置に生じては滅するという過程が繰り返されることで、第七識は無始劫以来途切れることなく連続して運転し続けます。この第七識の運転は五遍行心所法を常に伴いながら、心所法の形式で行われます。
第七識が六塵を了別しようとする時、思心所が生起し、第八識がこれに応じて六識を生じさせます。眼根は色塵に向かい、耳根は声塵に向かい、鼻根は香塵に向かい、舌根は味塵に向かい、身根は触塵に向かい、意根は法塵に向かいます。六根と六塵が接触・対応するやいなや、第八識は直ちに六識の識種を送り出します。眼識が活動を開始すると、眼識の種子が極めて迅速に刹那毎に生滅を繰り返し、一時的な了別性を形成します。この眼識の了別性も心所法の形式で運作され、主に五遍行心所法によって行われます。ただし眼識には善なる心所法や煩悩心所法、時折顕現する五別境心所法も存在し、他の諸識も同様です。
第八識が第六識に識種子を送り出すことで第六識が生じ、刹那毎に送り出される識種子が連続的な識心の運作を形成します。これは一滴の水が連続して流れ出て水流を成すのに似ています。識心が水流のように連続性を獲得すると、識別・了別・思惟・判断などの作用を発揮する勢いが生じます。第六識が多くの法を了別しようとする場合、その分別力は必然的に弱体化し、法塵を明瞭に了別できず智慧力が生起しません。これは意根が様々な対象に攀縁する結果です。しかし意根が攀縁を減らし作意を控えて意識を一つの法塵に集中させると、第八識はその法塵に意識心の識種子を集中して送り、第六識の分別力が強化され智慧が生起します。
これらの識種子は再び第八識に回帰し、繰り返し送り出されることで、循環ポンプのように絶え間なく運転を続けます。第六識の運作も心所法の形式で行われ、五遍行心所法を常に伴うほか、五別境心所法や善・煩悩・無記の心所法が随時に作用します。心所法の不断の運作を通じて七識は世間の一切の境界を了別し、これにより我々は見聞覚知の性を得て、世間の一切法を了別することが可能となります。
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