第八識、第七識及び第六識、この三つの識には全て「知」があるが、ただ知る対象と内容がそれぞれ異なる。詳細な境界を知るのは必ず意識の知である。第八識は意根の心行と心願を知り、第七識は意識の了別した情報と抉択を知る。第八識と第七識は共に根身を知り、第八識は種子と業縁を知る。
意識にも思心所があり、人や物事を了別した後には必ず抉択を行う。抉択とは肯定と否定であり、判断を与え、後の念想を生じさせる。意根の思心所は、次の刹那に六識が何をすべきかを主宰し決定する。意根の抉択には如来蔵の配合があり、六識は必ず行動を起こさなければならない。意識心の抉択は必ずしも行動に移せるものではなく、意根の承認を得て意根が決定しなければ行動を起こせない。これも意根の思心所が抉択する作用である。
自らに念頭があるかどうかを知るのは意識心の反観力であり、意識の知である。意根は分析を行わず、意根が了別する内容は意識が知ることができず、これを「不可解」という。
緊急時には意識が一瞬で了別し、分析する暇もないため意根に影響を与えられない。意根は過去の経験に基づいて抉択を行い、意識はただ了別した情報を迅速に意根に伝えるに過ぎない。
意根が我執を断たなければ消滅することはない。身体活動を指揮するのは意根の機能であり、意識は身体を指揮しようとするが、意根の同意を得て命令を下さなければならない。六識が動いて初めて身体は動く。六識が生じず活動しなければ、身体は動くことができない。
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