甘露を毒の混じった杯に注げば、直ちに毒薬と化す。器が清浄でないがゆえである。仏法の甘露が衆生の心に入る時、衆生は邪な解釈を生ず。智慧が清浄でないがゆえである。邪見の種子が衆生の阿頼耶識の田に宿り、縁に遇えば即ち邪解を生ず。甘露の法相が衆生の識心によって歪められ、現れる内相分はもはや甘露にあらず。識心が歪められた内相分に触れれば、邪見を生ず。邪見の種子が再び阿頼耶識の田に植え付けられ、将来咲く花もやはり邪見の花、結ぶ実も邪見の果となる。まことに悲しむべきことではございませんか。意根の染汚性を除去することは、仏道を学ぶ者の急務でございます。これには意識心が常に正しく法理を思惟し、絶えず意根を薫染させ、ある日意根の邪見が転じた後、修行は正しい道を歩むことができるのでございます。
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