答:意根の作意は、貪瞋などの煩悩心所によって引き起こされるほかに、欲心所によって引き起こされる必要もあります。欲には善欲と悪欲があり、さらに善でも悪でもない欲もあります。善欲とは大いなる願力であり、悪欲とは貪瞋痴です。意根の作意には、習慣的な作意の部分もあり、慣性の作用によるものです。
瑜伽師地論原文:云何能生作意正起﹖由四因故﹕一由欲力。二由念力。三由境界力。四由数习力。云何由欲力﹖谓若于是处心有爱著﹐心则于彼多作意生。云何由念力﹖谓若于彼,已善取其相,已极作想﹐心则于彼多作意生。云何由境界力﹖谓若彼境界或极广大﹐或极可意正现在前﹐心则于彼多作意生。云何由数习力﹖谓若于彼境界﹐已极串习﹐已极谙悉﹐心即于彼多作意生。若异此者﹐应于一所缘境,唯一作意﹐一切时生。
これは作意心所法が生ずる縁です:欲、念、境界、習性。すなわち、欲と念がなければ、作意することはできません。特に意根の欲と念であり、意根が作意して初めて六識が生じ、六識が初めて作意することができるのです。
定を修めたいならば、意根の慣性的な作意を制御し変え、その攀縁性を降伏しなければなりません。攀縁性とは、意根の習慣的な作意をも指します。業種が成熟するか否かは、意根の作意と必然的な関係はありません。業種が成熟するか否かは、如来蔵が自然に知ることができ、そして如来蔵はいくつかの縁を生じ始め、業種に従って相応の法を運行するのです。
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