衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月13日    火曜日     第4 回の開示 合計36回の開示

五別境心所法の重要性

問:五遍行は起心动念など最も基礎的な層面であり、五別境は道業を成就させる智慧の層面に関するものですが、そうでしょうか。

答:完全にそうではありません。五別境心所法である欲・勝解・念・定・慧は、出世間法を成就させる鍵であるだけでなく、世間法を成就させる鍵でもあります。

例えば欲心所は、衆生が何かを求める限り、出世間法の事であれ世間法の事であれ、全て欲望であり、六・七識の欲心所です。その中で生じるのも早く滅するのも早く、環境の影響を受けやすいのは意識の欲望です。深層の欲望、制御できず把握できず根強いものは、必ず意根の欲望です。

例えば極楽往生を願うのは欲望であり、意識心のものもあれば意根のものもあります。意根の欲望を深切信願と呼びます。意根の深切信願がなければ、意識だけが往生を願っても無意味で、根本的に往生できません。成仏や参禅を願うにも、意識心の欲望と意根の欲望があります。意根の欲望がなければ、六識は精進できず、参禅・学法・成仏など何事も成就しません。

立身出世や事業成就を願うにも、意識の欲望と意根の欲望があります。意根に欲がなく「したくない」と思えば、意識がどれほど欲しても無駄です。意識は主導権を持たないからです。

次に勝解心所法には、意識の勝解と意根の勝解があります。通常、意根は六塵境界を了別する智慧が不足しているため、六識を借りて状況を把握し、六識が報告した内容を勝解できなければ、迅速かつ適切な選択ができず、六識は過ちを犯し続けます。意根が六識の報告を勝解すれば、正確・適切・適時・迅速な選択が可能です。意根が勝解できない事柄については、正しい選択も意識に従った選択もできません。

観行による我見断除や参禅において、意根が五陰無我の理・般若の理・如来蔵の法を勝解できなければ、我見を断ち明心見性することも、煩悩を断じて生死を解脱することも、三界を出て識を智に転じ仏道を成就することも叶いません。

念心所については、誰もが世俗法や仏法を念じます。ここに意識の念と意根の念があります。意識の念は境界の影響や意根の指示によって生じ、生滅変化が極めて速く表面的です。意根の念は深く長続きし、止まることなく変わらない場合があります。例えば人や事柄・法を念じる時、頑固に持続する傾向があります。

定心所は仏法(参禅・念仏・座禅)にも世俗法(研究・プロジェクト)にも定まります。意識の定と意根の定があり、意識の定は意根が定まった結果です。意根が仏法や研究に定まらなければ、意識は専心できず成果が出ません。

慧には意識の慧と意根の慧があり、仏法にも世俗法にも智慧を発揮します。

故に五別境心所法は六・七識に具わり、世出世間の一切法を成就する鍵となる極めて重要な心所法です。六・七識に五別境心所法がなければ、多くの法が現起せず、道業だけでなく世俗法も成就できません。

——生如法師の開示
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