衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月25日    金曜日     第1開示 合計1204開示

夢を見ているとき、なぜ自分が夢を見ていると気づかないのか

人が夢を見るのは、末那識が絶えず特定の法に執着して攀縁するためであり、阿頼耶識がこれに随順して夢境を生じさせるからである。夢境は独影境に属し、意識心が単独で了別するもので、五識の配合を伴わない。独影境が現起する縁は比較的少ないため、末那識が特定の法に執着し心を留めるだけで独影境が現れ、その後末那識が独影境と接触すると、阿頼耶識が意識を生じて独影境を了別する。しかし夢中では意識の思惟と判断力が不十分で、分別力が比較的弱く、識別の勢いがあまり強盛ではないため、受動的に夢に引きずられて進むことが多く、自分が夢を見ていることに気づかない。同時に意識の内省力も比較的弱く、智慧性に欠けるため、自身の活動が夢中であり、夢の中の独影境を了別していることも認識できず、したがって自分が夢中にいること、夢を見ていることを知らないのである。

もしある程度修行を積んだ人であれば、末那識が仏法と善法によって効果的に染まり、意識に悪業を造らせることを指揮せず、意識の行為を制御できる。そのような人は中有の身においても、末那識が六識を制御して悪業を造らず、悪縁に従って業行を現じず、六識を主導して善を行い善業を造ることが可能である。このように心が善であれば善趣と相応し、善趣に生まれ変わる可能性が比較的高い。さらに意識も善趣を選択することを理解するため、善き処に生まれ変わる可能性がある。

——生如法師の開示
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自心を制することは、世界を制することに等しい

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