苦しみには三種類あります。苦苦(くく)、行苦(ぎょうく)、壊苦(えく)。あるいは八苦に分けられます。生老病死苦(しょうろうびょうしく)、求不得苦(ぐふとっく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、愛別離苦(あいべつりく)、五陰熾盛苦(ごおんしじょうく)。行苦の「行」とは運行と変化を意味し、五陰の身心が少しずつ変化し崩壊していく根本的な不安定性を指します。壊苦の「壊」とは破壊・消散・変異を意味し、五陰の無常性による苦しみです。一切の苦そのものが苦であるというのが苦苦の意味です。衆生の苦は三苦・八苦に留まらず、細分化すれば無量の苦があります。しかし愚かな衆生は苦中にありながら苦を悟らず、仏陀が娑婆世界に来て苦聖諦を説かねばなりませんでした。それでもなお衆生は苦を認識できず、苦を断つこともできないのです。
感受には苦受・楽受・不苦不楽受がありますが、いずれも苦です。楽受の中にも行苦が潜み、楽受の後には必ず壊苦が訪れます。楽受の最中にも心には苦が存在し、純粋な楽はありません。さらに衆生はあらゆる楽受に代償を払うため、五陰の世に真の無苦の楽受は存在しません。
無色界の非想非非想天における禅定の境地は極楽ですが、そこにも行苦が存在します。八万大劫という時間が瞬く間に過ぎ去り、定から出れば一切の苦悩が現前します。衆生は楽が消えることを恐れるがゆえに、この執着自体が苦となります。仏法を求める過程での労苦もまた苦ですが、この苦中に楽受が生じ、やがて一切の苦が楽受へと転じます。よって我々は仏法修学に精進し、困難を恐れず、最終的には楽受と捨受へ至らねばなりません。あらゆる感受は無常であり、無常なるものは苦です。故に「受あるものは皆な苦なり」と説かれるのです。
11
+1