我見を断つには、まず古い思想観念を改め、新しい思想観念を確立し、新たな認知体系を構築する必要があります。無常の現象に対して明確な認識を持ち、五蘊世間の無常性と生滅変異を十分に覚醒した認識のもと、生滅変異する法を空と無我として確立しなければなりません。しかしこのような思想観念を確立することは極めて困難です。現象は観察しやすいものの、観念は容易に変わりません。正しく道理に適った観念を樹立することは、世間法の無常を観行するよりも何倍も難しいのです。無常は実際に観察しやすいものですが、『有』に慣れ親しんでいるため『空』と確認することが難しく、空を知りつつも『無我』と確認できないのは、古来の『我』という観念が突破し難いからです。
これには意図的な観念転換の訓練が必要です。例えば玩具の自動車を分解しては組み立て、組み立てては分解し、その中に真実の玩具自動車が存在するかを観察します。鉄板の集合体が玩具自動車と言えるでしょうか。玩具自動車という実体が存在するでしょうか。玩具自動車は因縁によって生じた法であり、自主性がなく生住異滅を繰り返し、本来空であり我の性質を持ちません。またビニール人形を分解組み立てし、人形を形成する因縁性や、人形自体の生滅変異・無常性と空性を観察します。繰り返しの実験と観察を通じて、次第に『有』の観念を打破し『空』の観念を樹立し、新たな観念的認知を形成することで、初めて我見を断ち切ることができるのです。
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