衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年09月05日    日曜日     第1 回の開示 合計3500回の開示

悟りの後、天下無事

かつて夜明け前に夢を見たことがあります。その夢の中で、私は二つの大切な荷物をなくしてしまい、周りは混乱した見知らぬ人ばかりで、この荷物はもう戻ってこないだろうと思いました。しかしその時、私は慌てるどころか、非常に冷静で明晰かつ理性的で、まるで自分が夢を見ていると知っているかのようでした。そこで急いで目を覚ます決心をし、心に力を込めて目を開けて覚醒しました。心は澄み渡り、しばらく安らかに横たわりながら先ほどの夢を振り返り、夢の中で荷物を失ったなどということは実際にはなく、私は何も失っていないと悟りました。この夢は非常に鮮明で、今でも記憶に新しいものです。誰もが夢の中で様々なことを経験しますが、一旦目が覚めれば何も起こらなかったことになります。このことから、覚醒した状態に夢がない時、心は確かに安らかで、執着も負担もないことが分かります。 

このような夢は短くて覚めやすいものですが、生死の大夢はとても長く、容易に覚めるものではありません。人々は夢の中では迷い、貪瞋痴に囚われ、業行を絶え間なく続け、あらゆる人事物が真実であると思い込んでいます。悟りを開いて覚醒した後では、すべてが夢であったことに気付き、実際には何も起こらなかったことを知るのです。目覚めることができて本当によかったと思います。しかし、どうすれば早く覚醒できるでしょうか。夢の中にあっても心を清明に保ち、これが夢であると知り、夢境に執着せず、覚醒する発心を持ち、定力を養い、智慧を磨き、善根を培い、福德を積む必要があります。夢の中からまだ抜け出せない間は、悪業を造らずに善業と清浄業を多く行いなさい。悪業は心を覆い隠し、心を混濁させ、現在が夢境であると見分けられなくなり、幻夢から脱出しようとする発心が起こらなくなるからです。

生死の大夢の中では、一切の法は幻化されたものであり、真実のように見えても本質は虚偽です。心が清明でない時、偽りを真実と思い込み、様々な業行、特に悪業を造り続けることで、夢境に囚われて覚醒できなくなります。夢の中の人々にとって善行や清浄行、特に清浄行を行うことは極めて重要です。清浄行は心を清明にし、夢境の本質を見透かすことができ、迷いや執着から離れ、脱出への願力が強まり、定力が満ち、智慧が深まれば、迅速に覚醒して太平の世に生きることができます。清らかな心で欲望少なく、雲淡く風軽やかで、何にも囚われない閑寂な境地を得るのです。だからこそ、わざわざ事を構える必要はありません。身心を常に忙しくさせ、貪瞋痴の煩悩と悪業を重ねるべきではないのです。この世に執着すべきものは何もなく、放せないものもなく、心に留めるべきこともありません。心の悩みは全て夢中の事柄であり、執着しても無意味です。財・色・名誉・食欲・睡眠など、何一つとして手に入れることはできません。この世はただの夢に過ぎず、多くの人々が名利のために忙しく奔走していますが、本当に価値のないことです。

——生如法師の開示
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