衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年01月28日    月曜日     第1 回の開示 合計1212回の開示

修行は自分自身のものであり、他人が代わることはできません

衆生の業は自らが了する必要があります。主に心を了することであり、心が了すれば、業も了することができるのです。心を了するには、仏の加護だけでは不十分で、自らが積極的に協力し、自らの心を改め、無明を断ち切らなければなりません。そうして初めて業を了することができるのです。もし殺生の業があっても、仏菩薩が代わりに了じてくださっても、あなたに殺意が残っているなら、将来また悪業を造ることになります。それではどうして業を断つことができましょうか。貧困の業は誰が代わりに了じられるでしょうか。福德は自らが修めるものであり、他人が代わりに修めることはできません。禅定は自らが修めるものであり、他人が代わりに修めることはできません。戒律は自らが守るものであり、他人が代わりに守ることはできません。明心は自らが明らかにするものであり、他人が代わりに明心見性することはできません。仏は自らが修めて成じるものであり、他人が代わりに成仏することはできないのです。

——生如法師の開示
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修行者は世俗法に執着しすぎてはならない