衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月31日    木曜日     第2開示 合計1221開示

修福の重要性

菩薩の心性を持つ人は、成就が非常に速い。これは多生にわたる修行の結果である。修行をより速く進めるため、我々は皆、大いなる心を発し、自利利他の菩薩行を修めるべきである。菩薩の心性とは無我のことであり、無我が菩提と相応すれば、速やかに菩提を証得できる。我執こそが道を妨げる根源である。もし人がひたすら個人の利益のために修行し、仏教や衆生を顧みず、他者を気にかけなければ、福徳は積み難く、智慧は増し難く、修行は極めて遅滞する。ある人々は、福徳を修めるよう勧めても、どうしても修めようとしない。その結果、長く学び、多くの精力を費やしても、知見は依然として哀れなほど貧しく、正しい道に立てない。福徳を修めることは仏法を学ぶ出発点であり、仏法を証得する基礎である。非常に重要である。しかし、それでもなお福徳を修めたがらない人がいる。福徳を修めれば損をすると考えているのである。知らないのであり、福徳を修めないことこそが大きな損失なのだ。

布施による福徳の修行において、どこで福徳を修めるかを選ぶことも重要である。穀物を収穫したいなら、稲の種は水田に蒔かねばならず、野菜畑に稲の種を蒔くことはできない。大乗の法において福徳を修めてこそ、大乗の法を証得できる。真実の仏法に種を蒔いてこそ、大小乗の法の果実を収穫できる。もし専ら福徳を修めるならば、布施行を修めるべきであり、それには財施・法施・無畏施が含まれる。

布施は三宝への供養だけではない。衆生に対する三種類の布施を含む:財施とは金銭や物品の布施である。法施は、もし自らが仏法を証得していなくても、間接的な法施を行うことができる。そうすれば福徳も速やかに積み上がり、より多くの衆生に大乗仏法を理解させることができ、自らの福徳は速やかに集積され、知見も速やかに確立され、見道も速やかになる。無畏施とは、他人の苦悩や憂いを解決し、後顧の憂いなくさせることである。この三種類の布施がある程度まで実践されれば、福徳は果を証得し明心見性するに足りるほど集積され、凡夫の位を脱することができる。

——生如法師の開示
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