『持世経』原文:識陰は虚妄にして実ならず。倒錯に相応す。見聞覚知の法より起こるに因る。此の中に実の識あることなし。若し此の如く実観せずんば、或いは善識を起こし、或いは不善識を起こし、或いは善不善識を起こす。是の人は常に識に随って行じ、識の生ずる処を知らず、識の如实の相を知らず。
釈:識陰は虚妄なるもの、実有の法にあらず。妄見の法にして、無の中に有を見る倒錯の心と相応じ、能見・能聞・能覚・能知の法によって生起す。所謂る見聞覚知の中に、実在の識心をもって見聞覚知するものは無し。此の如き如实の観察を識陰に成せざれば、善法を造作する識陰を生じ、或いは不善法を造作する識陰を生じ、或いは善法と不善法とを造作する識陰を生ず。此の如き人の心は常に識陰に随って流転し、識陰の生ずる処を知らず、識陰の真実の相貌を知らず。
原文:持世よ、菩薩摩訶薩は此の中に於いて、此の如く正観し、識陰は虚妄の識より起こることを知る。所謂る見聞覚知の法中における衆因縁生を、法無きに法の想いを生ずる故に、識陰を貪着す。是の諸の菩薩が如实に観る時、識陰の虚妄不実なることを知り、本より已来常に生ぜざる相なることを知る。陰ならざるを識陰とし、想陰を識陰とし、幻陰を識陰とすることを知る。
釈:持世よ、菩薩摩訶薩は見聞覚知の中に於いて、能く如实に識陰を正観し、識陰が虚妄の識より生起することを了知す。即ち見聞覚知の法の中に、衆多の因縁によって識陰が生じ、本無法の中に法の念想を生じ、遂に識陰を貪着す。諸大菩薩が此の如く如实に観察する時、識陰が虚妄不実にして、本より已来生じたことの無きことを知る。また識陰の本体相貌無きを所謂る識陰とし、心念思想の流転する想陰をも識陰とし、種々の幻なる陰入法を所謂る識陰と知る。
原文:譬えば幻に化せし人の識、内にも在らず亦外にも在らず、亦中間にも在らず。識の性も亦此の如し。幻の性の如く虚妄の縁より生じ、憶想分別より起こり、実事あること無し。機関木人の如く、識も亦此の如し。倒錯より起こり、虚妄の因縁和合する故に有り。此の如く観る時、識は皆無常苦なることを知り、不淨無我なり。識の相は幻の如く、識の性を観ること幻の如し。
釈:譬えば幻化不実の人の識心、内に在らず、外に在らず、亦内外の中間にも在らず。識心の性質も此くの如く、幻化性にして虚妄の縁法より出生し、憶想分別より生起するもの、実在の分別性無し。機関を設けし木人に喩ふるが如く、識陰も亦此くの如し。倒錯の心行より生起し、虚妄の因縁和合して有るが故に識陰の作用を成す。此の如く正しく識陰を観察する時、識陰が皆無常なる苦の不淨無我なることを知り、識陰の相貌が虚構なることを知り、識陰の性質も亦虚妄不実なるを観る
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