原文:策励者。为于已得。令现前故。发勤精进者。为于未得。令其得故。又策励者。于已生善。为欲令住。令不忘故。发勤精进者。令修满故。又于下品中品善法。未生令生。生已令住。令不忘失。是名策励。于上品善法。未生令生。生已乃至。令修圆满。是名发勤精进。
解釈:いわゆる策励とは、すでに得た善法を現前させ、身口意行の中に顕現させるために、勇猛に自らを鞭撻し激励するということです。いわゆる発勤精進とは、まだ得ていない善法を速やかに得させるために、勤勉に精進するということです。策励とはまた、すでに生じた善法に対して、それを堅固に住持させ、忘れさせないためをも指します。発勤精進とはさらに、すでに生じた善法を速やかに修習して円満させることであり、それゆえに勤勉精進の心を生じさせるのです。
また、下品および中品の善法については、まだ生じていないものは生じさせ、すでに生じたものは堅固に住持させ、忘却しないようにすることを、策励と名づけます。上品の善法については、まだ生じていないものは生じさせ、すでに生じたものは堅固に住持させ、さらに修習して円満させることを、発勤精進と名づけます。
原文:言策心者。谓若心于修奢摩他一境性中。正勤方便。于诸未生恶不善法。为令不生。广说乃至。于其已生一切善法。为欲令住。令不忘失。令修圆满。由是因缘。其心于内极略下劣。或恐下劣。观见是已。尔时随取一种净妙举相。殷勤策励。庆悦其心。是名策心。云何持心。谓修举时。其心掉动。或恐掉动。观见是已。尔时还复于内。略摄其心。修奢摩他。是名持心。
解釈:いわれる策心とは、心が止(シャマタ)を修する際、一つの境界に専注する奢摩他(シャマタ)の中で、正しく勤めて方便の力をもって、まだ生じていない悪不善法に対しては生じさせないようにし、すでに生じた悪不善法に対しては滅除させ、広く説けば、すでに生じた一切の善法に対しては、それを堅固に住持させ、忘失させず、修習して円満させるためにあります。この修止の因縁によって、自分の内心が極度に昏昧(こんまい)しているのを発見したとき、あるいは昏昧を恐れているとき、その時には機に応じて一種の清浄勝妙な殊勝の相を選び取り、心を奮い立たせ激励し、心を歓喜させ憧れさせるのです。これを策心(その心を策励すること)と名づけます。持心とは何でしょうか。挙相を修する時に、自らの心が掉挙して動き止まらないのを発見したとき、あるいは掉挙を恐れているとき、その時には再び内において心を少し収摂し、止(シャマタ)を修することを、持心と名づけます。
ここでいう策心とは、じょう(定)を修している時に、心が昏沈して清明さを欠いているのを発見したら、観を修して対治し、心を提起して観察対象の法に集中させることであり、そうすれば心は昏沈や掉挙を起こさなくなります。観察対象の法は数多くありますが、自分が現に修習している法と同じ、あるいは相似した内容を一つ選び、注意をその法に集中させます。観察対象の法が明瞭で確かなものであるほど、勝妙で殊勝であるほど、それだけ興味を引いて自分の注意を惹きつけ、精力は旺盛になり、昏沈と暗鈍を追い払うことができます。観を修している時に、自分の心の集中力が足りず、心が散乱しているのを発見したら、観を修するのをやめて、心を一つの境に止めて動かないようにし、心が静まってから、再び観を修し続けるのです。
定慧・止観を修習する時には、ひたすら定と止のみを修めるのでもなく、ひたすら慧と観のみを修めるのでもなく、自らの心の状況に応じて択択しなければなりません。修行は定慧等持、止観双運でなければならず、定が多く心が沈没しているのを発見したら正念を提起して観を多く修め、自らの心が専一に深く入ることができないのを発見したら止を多く修めるべきです。止の中に観があること、観が定の中にあることを保証しなければならず、この二者が一つでも欠ければ、善い果を得ることはできません。
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