瑜伽師地論 第三十四巻
原文:此の永く断ずるが故に。若し先に已に欲界の貪を離れたる者は。彼れ今の時に於て。既に是の如き諦現観に入りて已て。不還果を得。彼れと前に説きたる欲を離れたる者の相とは。相違なしと知るべし。然れども此の中に少しく差別有り。謂わく当に化生を受けんとす。即ち彼の処に於て当に般涅槃に入らん。復た還って来たりて此の世間に生まるること無し。若し先に倍に欲界の貪を離れたる者は。彼れ今の時に於て。既に是の如き諦現観に入りて已て。一来果を得。若し先に未だ欲界の貪を離れざる者は。彼れ今の時に於て。既に是の如き諦現観に入りて已て。粗重は永く息滅し。預流果を得。
釈:粗重が永遠に断除されたが故に、もし先にすでに欲界の貪愛を離れた者は、今の時に於て、是の如き四聖諦の現量観行に悟入した後に、三果である不還果を得る。この者は先に述べた離欲者の相貌と、相違ないと知るべきである。但し両者の間には尚ほ少しの差別がある。それは、後世に化生を受ける三果の者は、即ちまさに生を受けんとするその処で直接に涅槃に入り、再び此の世間に生を受けて戻って来ることはないという点である。
もし先に欲界の貪愛を離れるに近い状態にあった者は、今の時に於て、是の如き四聖諦の現量観行を得た後に、二果である一来果を得る。もし先に未だ欲界の貪愛を離れなかった者は、今の時に於て、四聖諦の現量観行を得た後に、粗重なる煩悩は永遠に息滅し、初果を得る。
以上の弥勒菩薩の述べられたところに基づけば、初果を証得した者は未だ欲界の貪を離れてはいないが、粗重なる煩悩は永遠に断除息滅すべきものであり、微細な煩悩は依然として存在する。それは以後の修行によって次第に断除息滅され、四果に至って現行の煩悩を断じ尽くすのである。初果から四果に至るまで、いずれも四聖諦に対して現量観行を行うことができるが、その福德、煩悩、禅定、観行の智慧などの面における差別によって、得られる智慧に差別が生じ、果位にも差別が生ずる。
三果の者は欲界の貪愛煩悩を断除し、受生の処あるいはまさに生を受けんとする時に於て無余涅槃を取る能力を有する。即ち煩悩を断除した心解脱の聖者である。初果と二果にはなお異なる欲界の貪りが存在し、心は欲界から解脱していない。故に心解脱の聖者とはならず、賢人の範疇に属する。
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