問:毎朝目が覚めると、頭の中が空っぽで、同時に六字の念仏が聞こえてきます。何をしていても頭の中の念仏が聞こえ、他のことを考えると疲れ、食事量も減り、話す気も起きず、家族は私を認知症のようだと言います。何をしていても頭が空っぽで、家族や周囲のことが自分と無関係に感じられます。父のことを思うとその白骨の姿が浮かび、誰を見ても白骨が動いているように見え、自分自身も同様です。今では座禅中も頭が真っ白で、物事を考えると疲れ、目を開けているだけで疲労を覚え、念仏も唱えられず頭の中の念仏を聞くだけです。この状態は問題でしょうか。
答:これは心空の状態であり、修行上は何の問題もありません。実修を重ねた結果の良い現象です。頭が空になるのは心が清浄になった証拠で、長年の座禅と四念処の観行、白骨観と念仏の成果です。悟りを得る前は心が空になるもので、禅定が深まると身体も無気力になり、何事にも関心が持てず、全ての事物や人に疎遠感と空虚感を覚えます。これらは全て修行の良い徴候であり、三昧に近づいた状態を示しています。ここまで精進できたのは大変稀なことですから、このまま継続してください。
真剣に修行する者には世間と逆の現象が現れます。世人は自らの身心状態を正常と思いますが、実は煩悩の現れです。我々の身心状態が彼らと異なるのは正しいことで、同じなら修行が足りません。彼らに理解されなくても説明せず、ひたすら修行を続けましょう。もし修行者に空の心境がなく、何事にも執着があるなら、まだ修行が足りない証です。あなたの場合は立派な修行成果です。事物に疎遠感を覚えるのは「離」の境地、すなわち煩悩と世間法から離れることであり、これこそが悟りと空・無我への道です。
全てが空と感じるのは良い現象です。定力と慧力をさらに養えば、真の空に至るでしょう。世間からは理解されず愚者に見えても、それが仏道を極めた証です。白骨観が自然に浮かぶのは四念処の修養が進んだ証拠。世俗の相ではなく、その奥の真実相(白骨や空)を見ているのです。衆生は本来白骨であり、やがて空に帰すもの。色身も万法も皆空、これが真理です。現在の状態から判断すると、三昧と空・無我の悟りに近づいています。どの三昧も空に関わるものですから、引き続き精進なさってください。
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