衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年09月22日    木曜日     第1 回の開示 合計3679回の開示

念仏の声が自然と心に浮かぶのはどのようにして生じるのか? 念じているのは誰でしょうか?

自覚なく現れる念仏の声は、すべて意根より発せられるものであり、意根が念仏しているのである。初めは意識が気付かず、気付いてからも制御できず、仏号の声に従うほかない。自覚とは意識自身の覚りであり、不自覚は意識の覚りではなく、意根の覚り、意根の行為である。このような念仏三昧は禅定の境地であり、この定は比較的固く、この三昧の境地を借りてさらに四念処を観行する時、心も清浄であり、観行しやすい。

自覚なく念仏の声が現れ、しかも絶え間なく心の中や脳裏に響き渡る、これが念仏三昧である。種々の三昧はすべて意根より発せられる。なぜ意根が三昧を起こし得るのか。念仏の功夫が熟達していない者には念仏三昧は現れず、各種の観行功夫が不足している者にも三昧の境地は現れない。いわゆる功夫の熟達とは、長期間にわたって一つの修行を堅持することにより、意根を染めることに成功し、意根が染まり成就したことを指す。そうなれば自然と自覚的に念仏と観行を行い、種々の三昧が現れるのである。各種の三昧の出現は意識によって決定されず、意識の制御を受けず、意識はただ受動的に受け入れ、受動的に三昧の境地に融け込み、三昧と身心の覚受を体得するのである。

——生如法師の開示
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臨命終時において如何にして心を乱さず極楽浄土に往生することができるのでしょうか。

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