原文:もし楽しんで世間を出る道に趣くならば、四聖諦の境に依止し、漸次に七種の作意を生起すべきである。いわゆる最初の了相作意から最後の加行究竟果作意に至るまで、ついに阿羅漢果を証得するに至る。瑜伽を修する師は四聖諦において、略して標し広く弁じ増上する教法を、聴聞受持する。あるいは作意において善く修習し、あるいは根本静慮の四禅八定を得、さらには無色界定に達する。
解釈:修行者が楽しんで世間を超越する道に向かうなら、四聖諦の境地に依拠し、次第に七種類の作意を生じさせるべきである。これら七種の作意とは、最初の了相作意、続く勝解作意・遠離作意・摂楽作意・観察作意・加行究竟作意、そして最後の加行究竟果作意を指し、ついに阿羅漢果を証得するに至る。瑜伽の修行者は四聖諦の理について、大略的に触れ広く増上する教法を弁証的にとらえ、聴聞し受持する。彼らはあるいは理にかなった作意について善く修習し、あるいは根本静慮の四禅八定を証得し、さらには無色界定に達している。
この文章は概略的に凡夫から四果の阿羅漢に至る修学の内容と次第、あるいは過程を示している。衆生が世間の苦から解脱し涅槃の楽を証得しようとするなら、四聖諦を修学しなければならない。四聖諦を修行する過程において七種の作意を生起させる必要がある。いわゆる作意とは、注意・関心・心の用い方、心の趣く方向を指し、また観行・観察をも意味する。作意が異なれば趣く方向も異なり、結果も異なる。最後に加行究竟果作意を生起させて初めて究竟果を得、阿羅漢果を証得し解脱を得て世間を超越するのである。
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