原文:四大を仮に身と為し、心は本より無生にして境に因りて有り;
前境若し無ければ心もまた無く、罪福は幻の如く起こりては滅す。
釈:衆生の色身は地水火風の四大種子によって構成され、第八識は衆生の業縁に依って四大種子を出力し、四大の異なる比例に従って衆生の色身を顕現させる。衆生は四大によって構成された色身を以て我と為す。而して衆生を顕現する第八識は本来より存在し、後天的に生じたものではなく、即ち無生法である。それは形なく相無く、単独では顕現できず、常に自らが顕現した五蘊の諸境界と共にある。境界が現れれば、それに伴って存在が顕われる。故に衆生がこれを識り、見出さんとすれば、諸々の境界妄縁の上にてこれを尋ね求めねばならない。
もし五蘊の諸境界が消失すれば、衆生は眼は色を見ず、耳は声を聞かず、鼻は香を嗅がず、意は法を思わず、識心は悉く滅し、そうなれば第八識は色声香味触法の上に顕現する術がなく、識心もまた第八識を認識する働きを失うため、第八識は暫く隠遁する。色身が四大によって造られ、識心が虚妄であるならば、五蘊が造作する罪福の業もまた虚妄であり、現象的には存在するように見えるが、実は無生であって真実の罪福業は存在しない。故に罪福は皆空にして無我・無我所である。
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