原文:仏は仏を見ずして仏と知る。若し実に知有らば別に仏無し。智者は罪性の空なることを能く知り、坦然として生死に怖れず。
釈:真如は見ることも聞くこともなく、覚えることも知ることもない。真如の自心は自心を見ず、自心は自心を知らず、真如の自心は自らを覚知しない。それ故に、この真如の自らを見ない心こそが仏であると知るのである。もし人が「真如に知見が有り、色を見声を聞くことができ、有無の妄想を知り、入定と不入定を弁ずる」と言うならば、この知は意識の知であって真如ではない。この知を真如と認めれば、もはや仏は存在しない。知見なき真如こそ真実の仏であり、成仏の真体である。
智慧ある者は、一切の法が真如の自心より現起し、顕現したものであり、実体なきことを能く知る。衆生が悪を造り善を修めることも、その行い自体が真如の顕現であり変化であって、実法を得るべきものではない。その罪福の性もまた空である。一切の生死の現象も真如の現じた虚妄の相であって、真実の生死法は得られない。生死は幻夢や空華の如く、了不可得である。故に道を得た智者、一切法が幻の如く夢の如しと証した菩薩は、再び生死を怖れず、阿羅漢のように涅槃を求め生死を滅度しようとはしない。菩薩たちは幻生幻滅の生死の中を絶えず往来し、諸仏国土において自らを度し、そして人を度すのである。
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