原文:本来法有りと付し、付けて了れば法無しと曰う;各々自ら悟るを需い、悟り了れば無無法なり。
解釈:歴代の諸仏や祖師方が弟子たちに伝授したものは皆この真如の法である。真如の法は無相ではあるが実在し、その相は空なりと雖も体は実なり。弟子たちは法を得て悟りを開きましたが、実は何も得るところなく、如何なる法も得ず。真如は元来自家の宝珠であり、外から得るものではなく、ただ発見するのみ。発見した後は、世間の五蘊に一つの法も存在せず、全て真如の現じたものと知る。内心も次第に真如の法に執着せず、それは全てであると同時に何ものでもなく、貴重でありながら一銭の値打ちもなく、進呈しても受け取る者無し。大心の衆生は各々努力し、自ら修め自ら悟る必要あり。悟り了れば、世間も出世間も一つの法も無く全て虚妄というのではなく、尚一つの法虚妄ならざるもの、真実有るものが存在すると知り、これにより安心でき、断滅空にはならぬと悟るのである。
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