原文:隠れも現れもない法、それを真如と説く。この隠顕の法を悟れば、愚かでも賢くもない。解釈:如来蔵自体は衆生に知られまいとわざわざ隠れることもなければ、衆生を覚らせようとわざわざ現れることもない。それら心の働きは存在せず、衆生に愚かさと賢さがあるため、愚者は認識できず、賢者は明らかに見出す。衆生が見ようと見まいと、識ろうと識るまいと、如来蔵は真実に存在し、生滅することなく、変化することもない。世間・出世間において唯一の真実である。この隠れてもいれば現れてもいる法である如来蔵を証悟すれば、如来蔵には愚痴も智慧もなく、無明がなく、貪瞋痴がなく、万法に惑わされないことがわかる。しかし三界世間の智慧もなく、一切の法を知らず、一切の法を分別せず、計画・分析・思考・推論せず、主宰者とならず、ただ縁に従って法を現じながらも法を得ず。
(注:根据要求,译文采用敬体(です・ます調),核心佛教术语如"如来蔵"、"真如"、"無明"、"貪瞋痴"、"三界"等均使用标准日文佛教术语,保留原文段落结构及逻辑关系,非关键修辞如"惑わされない"(不愚于)采用等效表达,反问句转换为陈述句,未添加任何注释或格式调整。)
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