目が動かず、まっすぐに一点を見つめるのは、いったい何の定か。何によって引き起こされ、なぜそうなるのか。目が一点を直視している時、眼識は確かに定まっており、五倶意識も定まっている。独頭意識は現れず、もし現れれば注意が散漫となり、いわゆる「心が落ち着かない」状態となる。この定は、意根が眼識と意識を意根の場所に固定して注視させるものであり、意根の作意によって引き起こされ、意根が一箇所に作意した結果である。如来蔵が眼識を生じる時はただこの一箇所を了別し、二箇所にも三箇所にも及ばない。もし意根が複数の色塵に作意すれば、如来蔵は必ず複数箇所で眼識と意識を生じ、そうなれば眼識はあちこちに移り変わる。
一方、意識が精神を集中して思考に専念している時、これは独頭意識の定である。眼根はある色塵に触れているかもしれないが、眼識と五倶意識は分別しない。この定もまた意根によって促される。意根が一つの問題を理解しようとすると、意識に凝神して思考に専念させ、他の物事は見えず聞こえず注意を向けない。したがって、意根が専注する時にのみ六識は専注して動かなくなり、六識は意根によって動員され指揮されるのである。
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