衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年02月07日    木曜日     第4 回の開示 合計1239回の開示

悟りの過程

仏道を学んで悟りを開く過程は、難しいと言えば極めて難しく、易しいと言えば易しい。難しいのは、末那識に内在する既存の認識を転換し、真理を受け入れさせるのが容易でないためです。易しいのは、その手順が複雑ではなく、ただ意識と末那識の認識問題に関わるだけだからです。まず意識が学習を通じて、五蘊身の中に常住して一切の法を生じる如来蔵が存在することを知り、繰り返し修練することで末那識にも如来蔵が真我であり真の主人であることを認識させます。しかし末那識は必ずこれを疑い、自らが真の主人であり全てを支配していると考えるでしょう。

末那識の疑いを除くには、まず末那識に五蘊十八界が我ならず、末那識自体も生滅変異する実体でないことを証得させねばなりません。これにより末那識は依拠すべき如来蔵の存在を認めるようになります。次に意識と末那識が共同で禅を参じ、如来蔵を探究します。意識だけで推論するなら、それは推理や情思意解と呼ばれ、得られた結論は理解あるいは解悟に過ぎず、禅定の水に潤されない乾慧を得るだけで、解行が相応せず解脱できません。末那識と意識が共同で探究するには禅定が必要で、疑情と話頭で末那識を繋ぎ、その妄念を断ち切り、昼夜を分かたず疑情と話頭に縁慮させることで、いつの日か必ず心を明らかにし本性を見るに至ります。

悟りの方法は意識から末那識へ深め、意識の思考内容を末那識に理解させることです。意識が伝令役として情報を伝える際には巧みな方便が必要で、細やかな智慧と周到な思考で末那識の注意を引き、その積極性を促し、退路を断って真摯に審査承認させる必要があります。意識が情報を整理して末那識に委ねた後は静かに待ち、末那識の指示に従い、干渉せず騒がせないことが肝要です。これには優れた禅定が必要で、末那識が禅定中に妨げなく思量探究すれば、その効率は最も高まります。

——生如法師の開示
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