原文 :もし先に殊勝なる善法を得ずんば、修習して得せしむ。これを修故得と名づく。もし先に已に得たるも、転じて現前にせしむ。これを修故習と名づく。もし先に已に得たるも、未だ現前にせしめずとも、但だ修習する彼の種類の法によって、まさに現前にせしめ、転じて清浄ならしめ、鮮白に生起せしむ。これを修故浄と名づく。もし失念有りて、染法現行するも、善法の力を修することによりて、忍受せず、断除し変吐す。これを修故遣と名づく。
釈:もし先に殊勝なる善法を得ず、修習によって得たならば、これを修故得という。もし先に既に善法を得たならば、修習によって善法を現前に出現せしめ、これを修故習という。もし先に既に善法を得たが未だ善法を現前にせしめずとも、その種類の善法を修習することにより、これを現前にせしめ、より一層清浄ならしめ、鮮明白浄に出現せしめるならば、これを修故浄という。もし失念によって染汚法が生起した場合、善法を修する力により、心は染汚の法を忍受せず、染汚法を断除し吐き出す。これを修故遣という。
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