衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年02月08日    金曜日     第2 回の開示 合計1242回の開示

なぜ六境が遠ざかるほど了別は不鮮明になるのでしょうか?

衆生に五色根の有無にかかわらず、意根は如来蔵に依って一切の法を縁じることができる。如来蔵が一切の法を見ることができる限りにおいてである。このうち如来蔵が外六塵に縁する際には、外六塵の四大微粒子を摂取し、即時に外六塵と全く同じ影像を形成する。意根はこの影像を縁じることができる。もし五浮塵根と勝義根が存在すれば、如来蔵はさらに五浮塵根へと伝導し、意根は依然としてこれを縁じることができる。さらに勝義根へ伝導されれば、意根はより明瞭に縁じうる。如来蔵が外六塵を摂取する刹那から、四大微粒子が勝義根に至るまでの一連の過程において、影像は絶えず生滅変異を繰り返す。中間の媒体による阻害作用があり、四大微粒子の数量と排列構造は影響を受けて変化し、影像もまた変化する。勝義根との距離が大きければ大きいほど、影像の変化もまた大きくなる。

このため我々が遠方の物質をぼんやりと不鮮明に見る現象や、遠方の音声が小さく聴こえて不明瞭になる現象、遠方の香塵が淡くなる現象、陽光が遠方ほど熱量が小さくなる現象は、全て六塵の影像が中間の媒体の阻害作用によって四大の微粒子が変化を起こした結果である。

意根が勝義根に伝達される前の六塵を縁じることができるため、重大で突然の六塵の境界に遭遇すると、意根は非常に迅速に事前に反応を示す。あたかも事前に準備ができていたかの如くである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

誹謗正法による往生と解脱ができない理由

次の記事 次の記事

転生は意根の業または願力によるものである

ページのトップへ戻る