性とは、衆生の本性を指し、衆生の根本的な本性は意根の心性、すなわち意根の心所法である。まさに意根の心性が不善であるがゆえに、衆生が無上菩提を証得することを常に覆い隠している。したがって、意根の心性の障りを除いて初めて仏道を成就することができる。
初地の菩薩は意根のあらゆる煩悩習気を少しずつ断じ始めるが、完全に断じることは不可能である。完全に断じきれない状況において、三界の生死に影響を及ぼすいくつかの性障は伏せられなければならない。一方、意根の煩悩の現行が完全に断じ尽くされると、四果の阿羅漢のように人我執著を断じ尽くし、無余涅槃に入ってしまい、仏道を成就できなくなる。仏は初地から七地の菩薩に対し、解脱道の正位、すなわち四果阿羅漢の果位を取らず、うっかり無余涅槃に入ることを避けるよう求められる。
したがって初地の菩薩は、三界の世間に再び出生できることを保証するため、ごくわずかな愛着を残さなければならない。しかし、深刻な愛着は残してはならず、わずかな軽微な愛着だけに留めるべきである。禅定などに対する少しの貪りで十分であり、大乗の法に対する貪り(つまり意根の貪りを永遠に押さえ伏せること)を持つこともできるが、完全に断ち切らずに残すことによってのみ、生々世々に自利利他を実践し、成仏に至るまで無余涅槃に入らないのである。
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