一切の法の証得は、真に甚深なる禅定の中に在り。禅定を欠けば、学ぶ所は知識に過ぎず、真実の智慧ではない。故に必ず禅定と観行を重視せねばならない。
禅定が不足する原因は心の散乱にあり、心が散乱する原因は縁に攀じ貪り求める事多きに由る。心を収摂すれば必ず禅定あり。身心を収摂するには戒を保つ必要あり、戒を受ける前には全ての罪業を懺悔せねばならず、罪業が消滅すれば遮障は消失し、心は清浄となる。
懺悔において第一に改めるべきは種子なり。新たに造作した業を懺悔し、旧い罪業を相殺するは、主に後々再造さざるに在り。意識と意根が清浄となるは、真の懺悔の結果なり。この結果ある時、一には業を消滅し、二には再造せず。もしこの効果なき時は、懺悔の心誠ならず、偽りの懺悔なり。
懺悔後に罪業が消滅したかを判断するには、まず如何なる罪業か、軽きか重きかを見る必要あり。重罪は譬えば、その後内心が以前より大いに清浄となり、幾つかの障礙が消滅し、修行の速度が速まる。軽き罪業は懺悔後、心も亦清浄となる。
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