如来蔵はあらゆる処に遍満し、五蘊世間の一切の法の処に遍く存在します。五蘊世間法の存在する所には必ず如来蔵がそこを執持しています。もし如来蔵が何らかの法を執持しなくなれば、その法は滅して現れなくなります。
如来蔵は生ぜず滅せず、形も相もなく、来たらず去らず、どの法の上にも来去の相はありません。しかしながら、五蘊世間法の生滅の相を観察すれば、如来蔵の来去の相を知ることができます。法が現れたということは、如来蔵がその法の中に来たことを示し、法が滅したということは、如来蔵がその法から去ったことを示します。実際には、如来蔵が法の中に来たり去ったりするのではなく、如来蔵が種子によって法を生じさせ、その法の上に如来蔵の執持の作用が現れるのです。如来蔵が法を執持しなくなり、種子を収め戻せば、法は如来蔵から離れて滅び去ります。
同様に、如来蔵は五蘊の中に来たこともなければ、五蘊から去ったこともありません。如来蔵が種子によって五蘊を生じさせたため、五蘊は如来蔵から離れられず、如来蔵と関わりを持つようになったのです。如来蔵が種子を収め戻し、五蘊を執持しなくなれば、五蘊は消失して滅び、如来蔵から分離します。しかしながら、この過程において、如来蔵自体は決して来去を用いず、全く動いたことはありません。来去するのは五蘊の世間相であり、それが如来蔵と集まり散じるのです。したがって、如来蔵は来たらず去らず、時間・空間・距離という概念は存在しないと言われるのです。
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