出入のある法は生滅変異の法であり、常住の法ではない。したがって、如来蔵もまた無余涅槃に入らず、無余涅槃から出ずることもない。如来蔵は無余涅槃の内にもなく、無余涅槃の外にもない。涅槃には内も外もない。
如来蔵は世俗によって見捨てられた法であり、世俗の一切の法とは伴侶とならない。世俗の法である五蘊十八界が滅び去った後も、如来蔵はそれに従って滅び去ることなく、安らかに独立している。それゆえに無余涅槃が存在するのであり、そうでなければ無余涅槃すら存在しない。もし五蘊十八界が滅び去った後、すべてが終わり何も存在しなければ、後世も後々世も存在しない。五蘊十八界が生じた後も、如来蔵はそれに従って生じることはない。なぜなら、如来蔵は本来から存在し、現に存在しているものであり、生じる必要がないからである。
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