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日常法話

2023年05月28日    日曜日     第2開示 合計3950開示

真如が自性を守らざるは真如に自性無きに非ず

真如が自性を守らないという意味は、如来蔵が無一物の状態に安住せず、心体内の種子が流注して三界の万法という有を形成することを指す。この真如とはすなわち如来蔵の本体であり、如来蔵の本体は当然ながらその自体性を有し、すべての世俗法の体性とは異なる。もし真如である第八識如来蔵に自性がなければ、それは自在ならざる法であり、生み出された法である。生み出された法はすべて自在ではなく、独自の体性を持たない。独自の体性を持たなければ、すなわち自在ならざる法である。しかし真如である第八識如来蔵は本来より存在し、因縁によって生じたものではなく、永遠に独自の体性を持ち、永遠に変異しない。したがってそれは大いなる自在である。

涅槃に自性がないという意味は、涅槃が如来蔵の清浄独存の状態であるためであり、状態とは自体性を持つ法ではなく、一種の顕示法であり、如来蔵を引き立てるために用いられる。もし真如が如来蔵の本体を指すのではなく、如来蔵の真実性・如如性という性質を指すならば、このような真如には自体性がなく、無自性である。

真如が自性を守らないと言う以上、それは真如如来蔵が自性を有すること、すなわち空性であることを示している。しかし如来蔵は種子を蔵することにより不空性も持ち、縁に随って万法を変現できるが、万法を変現する際もなお空性のままであり、有性ではなく、それ自体は万法ではない。真如如来蔵が空性という自性を持つからこそ万法を成就でき、もし真如如来蔵に空性という自性がなければ万法を成就できない。如来蔵が万法を成し得ないならば、それはただ真如如来蔵自体に過ぎない。

如来蔵真如はどれほど多くの法を変現しても、依然として自らの本来の性質を有している。黄金が黄金本来の状態を守らずに金細工の形状へ変化するように、黄金はどれほど多くの金細工を造り出しても、常に黄金の属性、黄金の本体性を有している。真如はまさに自性を持つからこそ、自性を守らないと言われるのであり、守らないこともまた有である。真如は本来空っぽで何もないが、縁に随って一切の法を出生でき、一切の法を出生する際にもなお自らの本来の性質を有している。如来蔵は万法を出生したからといって、如来蔵本体の属性を失うことはない。如来蔵本体の属性は永遠に変わらず、そうでなければ如来蔵は不変異の法とは言えない。

「如来蔵は縁に随って変わらず、変わらずして縁に随う」とは、如来蔵が如何なる因縁にあっても自体が永遠に変異せず、自性を有し、その自性が永遠に変わらないことを示している。第七識の遍計所執性、前六識の依他起性、如来蔵の円成実性という三種の自性は、いずれも無自性であり、すべて如来蔵本体によって初めて存在し得る法である。

——生如法師の開示
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