黄檗禅師は云われた、「法本不有,莫作无见,法本不无,莫作有见,有之于无,尽是情见。」
空性(śūnyatā)の心には一法もありませんが、神様が存在しないと考えることはできません。真如心は存在しないのではなく、神様は確かに存在するので、実相心と称されるのです。しかし、神様に何らかの相がある、何らかの法があるとも考えてはなりません。私たちが真如を有と見るか無と見るか、万法を真と見るか仮と見るか、いずれの知見もすべて私たちの意識心による見方です。意識心はすなわち虚妄心であり、さまざまな知見はすべて情見であって、真如の見ではありません。真如には見がなく、真如には知がありませんが、しかし神様の知らない一法というものはなく、神様を離れて存在しうる一法もありません。それゆえ、知は妄覚であり、知らざるは無記 (avyākṛta) です。真如は知に属することもなく、知らざるに属することもないのです。
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