衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年02月15日    金曜日     第2 回の開示 合計1261回の開示

妄想を除かず真実を求めず、いかなる心ぞ

永嘉禅師はこう説かれました。「妄想を除かず、真を求めず」と。これは真如の観点から述べられたもので、真如には妄想がなく、故に妄想を除くこともない。真如そのものは修行せず、戒定慧を修めず、明心見性を求めず、成仏を願うこともない。それ故に自らを証得しようとする願望を持たない。永嘉大師は深い智慧を得た悟りの人であるが故に、真如の本質を直観し、実相の心に関する真理を説かれた。悟らぬ者が語る言葉は、常に覚知心や意識心の次元に留まり、生滅する法、虚妄の法に過ぎず、第一義諦に触れることはない。道ある者と無き者との智慧は、天地ほどに隔たりがある。我々の意識妄心の本質は、仏法を学び修行した後も、常に「如何にして妄想雑念を除くか」「如何にして心を清浄にするか」「如何にして貪らず瞋らず痴らずにいるか」「如何にして真如を証得し自性を見出すか」と考える。しかし真如はこれらの事を一切考えない。解脱を得る方法も、成仏の道も、戒律の保持も、定と慧の修行も、真如には関係のない事柄である。真如には生死が無い故に、真如自体は修行を必要としないのである。

龐蘊居士の偈:心は境の如く、実も無ければ虚も無し。有に執わず無に住せず、賢聖にあらず。事を了した凡夫は易きに易く、この五蘊に真智あり。十方世界は一乗同じく、無相の法身に二つあらじ。もし煩悩を捨てて菩提に入らば、何方に仏地の在るかを知らず。

——生如法師の開示
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