衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年02月16日    土曜日     第2 回の開示 合計1264回の開示

なぜ蟻の身を脱することができないのか

世界の広大さ、仏国土の広大さ、宇宙の広大さは、意識では計り知れません。我々は所詮蟻のような存在です。蟻の世界に何があるでしょうか。蟻の生活に何を求め、何を計らい、何を誇るべきことがあるでしょうか。蟻の国に争う価値のあるものなどあるでしょうか。一匹一匹の蟻の五陰身に、何を執着し貪る価値があるでしょうか。

しかし仏様が見る蟻の群れは、本当に自らの五陰身に執着しすぎています。七仏が世に出ても、蟻は依然として蟻の身のままです。これはまさに蟻の愚痴性の現れ、執着性の現れです。我々と蟻に違いがあるでしょうか。無量の仏が世に出ても、依然として六道の衆生の身であり、あのような愚痴と執着があり、あれほど深い無明があるのです。まだ恥ずかしくないのでしょうか。まだ自らを責めないのでしょうか。まだ慚愧の二種の善心所法がないのでしょうか。

智慧はすべてに勝り、解脱は何よりも重要です。いかに多くの艱難を払って獲得するに値します。そうでなければ、蟻のように永遠に愚かで憐れみ深いまま、自分をどれほど偉大だと思い込むのでしょう。

多くの人々が長く仏法を学んでも、依然として山水に興味を持ち、あちこち遊び歩き、眼前の風景に貪愛し、貴重な時間を修行に惜しむことを知りません。蟷螂のような自分がどれほど遠くまで行けるか知らないのです。一群の蟻がどれほど歩いても、日夜休まずとも、砂漠一つ抜け出すのは難しいでしょう。ましてや国土を出ることなど。我々が飛行機に乗っても、地球の領空を離れるのは難しいのです。むしろ自らの心を開き、視野を広げ、大千世界全体を包容し、無限の宇宙の神秘を探求し、自らを無所不知・無所不能の真の智者と仏陀のような能者と成らしめ、辺際なき心量と智慧徳能を備えるべきです。

——生如法師の開示
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