意識がどのような状態であろうとも、意根は常に活動しており、思慮と思量を続けています。意識が決断に迷う時は、放心状態やぼんやりすることを選んでもよいでしょう。ふとした瞬間に良い考えが浮かぶものです。意根の心行は極めて静止し難く、意識が静止したからといって意根も静止すると思ってはなりません。意根の思想活動はおそらく我々誰もが観察し得ないほど深遠なものです。意根が一時的に静止したとしても、必ずしも無余涅槃に入るわけではありません。我々は無余涅槃について正しい理念を持つ必要があります。意根が自我の五陰身への執着を断じ尽くし、三界世間への貪愛を完全に断ち切り、世間に対していかなる希望も抱かなくなって初めて、命終の時に無余涅槃に入ることができるのです。無余涅槃に入るには一定の過程が必要で、須らく一果から四果までの悟りを証得し、初禅以上の禅定を得て、全ての煩悩を断除しなければなりません。その後意根の心念が次第に減少し、入定が極めて容易かつ迅速になります。命終の時、色身の四大が分解し、意根の五遍行心所が減少すると、三界に対していかなる作意も起こさず、領納せず、相を取らず、分別せず、抉択せず、いかなる造作をも望まなくなります。すると如来蔵はもはや何らの法をも生じることがなく、五陰身が滅して中陰身も存在しない状態、これが無余涅槃の境界です。
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